『悪行は清らかなるも 善行は濁りの中にあり』
善行にも裏表があり、打算や思惑が往々にして絡むことがあります。
「あいつが、そんなことをするなんて、ちょっと考えられない」と眉唾で見られたりするのが、この善行です。なにしろ日頃が日頃ですからね。良いことをしても、なんか胡散臭く思われてしまいます。
一方の悪行はというと、どんな些細なことであっても、即悪の一点に終結されます。もちろん実社会においても、悪行には厳しいお咎めもありますから、人の頭の中では、基本的に悪行は駄目とインプットされています。
すると、「悪行を為すところに悪人あり、善行を為すところに善人なし」と言い換えることも出来ます。よくよく考えて見れば、正しいことを行うのは人の道であって、善行はして当たり前とするのが、この社会の正しい在り方だったはずです。
ですから、ちょっとした善行を美化するには当たりません。それでも美化しょうとするのは、やはり、思惑があるからで、このことからも、善行は濁りの中にあると言えますね。
「まぁ、いいことしたね」
お母様に褒められ、嬉しそうなお坊ちゃま。でも、いいことの一つや二つをしたところで、善人と呼ばれるわけではありません。
ましてや、
「じゃあご褒美に、今日の夕飯はあなたの大好きなハンバーグにするね」
「ヤッタァ」
となると、お坊ちゃまは既に、思惑のある善行を覚えたということになります。